コラム「生保の課題は本当に『不正受給』なのか(後)」

 前回の記事を書いてから一カ月の間に自民党政権が誕生し、生活保護を巡る状況も大きく変化しました。ご承知の通り、前回採り上げたような生活保護の締め付けを主張しているのは主に自民党の国会議員ですから、彼らが政権与党の立場に立って政策立案に着手するなら、単なる政治的主張を超えて政策として実現する可能性が出てくるわけです。今回はそれを踏まえて生活保護の問題点を考えてみたいと思います。

 

 読者の方々もご存じの通り、医療関係者のなかでも生保受給者に対する根強い批判があることは事実です。ご自身が関わった生保受給者について「あれは不正受給ではないか」というような声が漏れ聞こえてくることも多々あります。これはどういうことでしょうか。

 再び統計を参照するなら、生活保護世帯の約80%が高齢者・障碍者世帯であることと関係して、生活保護費の50%以上を医療扶助が占めている現状ですから、医療関係者は他の職種と比べてそれだけ生活保護受給者との接点が多いと言えるでしょう。医療扶助を受けるには受給者であることを明示しなければならないので、医療関係者はそれを認識したうえで患者として対応することになり、それが一種のバイアスとして働くことは考えられます。つまり医療関係者は、機会の集中によって問題のある受給者と接する確率も他の職種より増大し、それが社会全体の趨勢として見えてしまう、というバイアスに常にさらされていると言えるでしょう。

 しかし、生活保護受給者も聖人君子ならぬ普通の人間ですし、ことに高齢受給者は他に生活手段を持つあてもない人々の権利を公費で保障しているだけなのですから、非受給者と何ら変わりのない対等の存在です。そういう観点で努めて理性的かつ公平に見ることで、生保受給者に対する偏見は大幅に低減されるのではないでしょうか。

 では生活保護制度が抱える最も大きな問題とは何かと言えば、それは捕捉率の貧弱さです。生活保護受給資格に適合する生活困難者がどの程度実際に受給できているかの割合を示すのが捕捉率ですが、政府による正式の統計はないものの、一説によれば20〜30%とも言われています。これは先進国中では最低レベルで、たとえばイギリスやドイツでは90%弱の捕捉率ですから、ほぼ必要とするすべての人々に公的扶助が行き渡っていることになります。

 生活保護制度とは憲法に保障された生存権に由来し、すべての国民が享受し得る最低限の文化的生活を保障したものですから、本来は現実的に可能な限りすべての人々がそれを享受する権利があります。その意味で生活保護の捕捉率が20〜30%程度というのは、先進国としてお話にならないレベルの政治の不作為だと言わざるを得ません。

 しかし、単純計算してみても、現在3兆4000億円の予算で多めに見積もっても全体の30%にしか行き渡っていないのですから、本来は10兆円以上の予算が必要だということになり、こんなに巨額の社会保障費をどこから捻出するのか、という問題が出てきます。では、生活保護制度の本質的な問題点は財源の捻出なのでしょうか。それだけの巨額の支出を支える財源はどこにもないのでしょうか。

 ひるがえって政治の現状を考えると、先日の選挙で経済成長を前面に掲げた自民党が勝利し、安倍晋三総裁が主張するインフレターゲット政策が「アベノミクス」として期待を寄せられています。仮に自民党が推進する経済政策が奏功するのであれば、当然大幅な税収増が期待できますから、財源の問題は自ずと解決するはずです。そもそも「お金がないから必要な施策ができない」というのは政治の敗北を意味しますから、本来はおかしな主張なのです。

 本稿の趣旨とは外れますから細かい解説は省きますが、安倍自民党がこれから推進するインフレターゲット政策では、貨幣の流通量を増やし2%程度のマイルドインフレを誘導する目的で公債が発行されるのであって、「赤字だから借金をする」という意味で公債を発行するわけではありません。潜在的な経済力に見合うだけの量の貨幣を市場に供給することが最大の目的です。

 そのためには、公債と引き替えに政府が日銀から得た大量の貨幣を、国民の経済に下ろしていく必要があります。インフレターゲット政策で経済を活性化するなら、それで増えたお金の国民への再分配が鍵になるのです。その再分配の文脈では「本来必要なのに財源の逼迫によって緊縮した支出」を優先的に回復するのはきわめて当然の筋道だと言えます。

 そして、これまで見てきた通り、生活保護制度は国家が設けたセーフティネットの最後の砦ですから、さしたる合理的根拠もなく切り詰めるべきものではありません。ましてや、先ほど指摘したように生活保護の最大の問題点は、不正受給による支出の増大どころか捕捉率の低さによる供給不足なのですから、生活保護費は増大こそすれ、これ以上絞っていくべき合理的な理由はありません。

 一方で、自民党の公約では未だに生活保護費の「国費ベースで8000億円削減」を謳っていますが、景気回復を約束して選挙に勝利した政党が、受給資格者の三分の一にも行き渡っていない生活保護費をさらに切り詰めるというのでは、政策全体の整合性がとれていないのではないでしょうか。

 ただし、そこからさらに一歩踏み込んで考えるなら、必要な財源が確保できて必要にして十分に公的扶助が行き渡るとしても、やはり生活保護費の無制限の拡大は抑止する必要があります。現在の日本の公的扶助の対GDP比は0.7%程度で、先進国の多くが2%台ですから、現状の3倍程度に増えても先進国の水準としてはまだまだ余裕があるのですが、公的扶助の支出が今後少子高齢化の進行によって青天井で拡大の一途を辿るのは財政のバランスを欠きます。仕方がないとばかりも言っていられませんから、どこかで安定する一線を探る必要があります。

 少子高齢化の流れはすでに決定づけられていますから、将来的な高齢受給者の増加は避けられませんし、これはパイ自体が拡大していくのですから弾き出す方向性で政策を考えるのはまちがっているでしょう。一方で、若年失業者については、増加を抑え受給生活の長期化を避ける方向で考えるべきです。そして、この二つの条件を両立させるには、高齢者扶助の財源と若年失業者の雇用を併せて確保する必要があり、これにはやはり経済成長が必須です。

 現在の生活保護制度が設計された時代には、その受給対象として想定されていたのは高齢者や障碍者でしたから、基本的に死ぬまで継続的に受給することが想定されていて、若年失業者のような一時的受給の増大は想定されていませんでした。そのために、現在の社会状況の変化に制度が十分対応できていない部分があることは事実です。

 受給者視点における生活保護制度の現時点で最大の問題点は、「一旦入ると抜け出しにくい制度」になっているということです。上記のように設計時点の想定とは社会状況が変わってきたため、一時的就労困難者を支援する機能が弱いところがまだまだありますから、今後はそれらの人々の就労を積極的に支援し経済的自立を促す機能も必要とされてきます。

 経済が好調だった時代には、失業率が低く抑えられていたうえに一般に給与水準が高かったために、「最低限の文化的生活」に甘んじるよりも就労してもっと高い収入を得るほうにインセンティブが働いていました。そのため、生活保護を受給する若年失業者も少なかったし、そこから抜け出すモチベーションもありました。しかし、現在のような長期不況の社会状況では、失業リスクが高いために若年層が受給生活に陥りやすいうえに一旦失業すれば再就職先の雇用が少なく、あっても受給水準以下の条件、つまり潜在的に受給資格に適合するレベルの待遇の求人しかないとなれば、そこから抜け出すことは容易ではありません。

 さらに一方では、ブラック企業といわれるような不況型の企業体質による劣悪な労働環境で心を病んで心ならずもリタイアした人もたくさんいますし、それらの人々が社会復帰する心理的なハードルの高さは、当人でなければわからない苦しさがあります。いつまで続くのか先の見えない不安定な生活の強いストレスから、飲酒や遊興などで生活が荒れる人も出てきますし、それがさらに社会の偏見を助長するという悪循環に陥っています。

 これらの受給者サイドの問題は、生活保護制度自体の問題というより、経済状況を起因とする社会状況の問題とも言えます。ですから、まず経済状況が好転することで受給者サイドの問題の多くが解決することは事実でしょう。そもそも雇用が拡大して失業率が低下すれば、生活困難者自体の絶対数が減るのですから、若年失業者の受給率そのものが低減されるでしょう。

 少し飛躍した想像ですが、いずれ将来的に公的年金制度が破綻すれば、国家のセーフティネットは生活保護に一本化され、高齢者でも健康で身体の動くうちは働いて収入を得るという形になるかもしれません。また、障碍者雇用がもっと進めば、社会が扶助のコストを負担するにしても、障碍者の社会参加を拡大したうえで社会的コストを給与の形で再分配することができます。

 そのためにも、生活保護制度は就労支援型のシステムを構築し、生涯受給を重視した制度から一時的受給も重視する制度へ転換することがよりいっそうの急務となるでしょう。生活保護の今後を決定する要素とは、就労支援型のシステムへの転換と、経済成長による雇用拡大や待遇改善の両輪ではないでしょうか。識者の間でも、インフレターゲット政策が経済成長をもたらす可能性は十分に高いと考えられますから、すでにその出口は見えているはずなのです。


霧山月世(きりやま・げっせい)

1961年生まれ。
ライター・校正・編集
企業広報物の編集業務に忙殺されるかたわら細々とライター業を営み、数年前から生業の主軸を校正業に移す。
ネットの世界では90年代半ばから積極的に活動しており、真っ黒な字面の長文でさまざまな分野の諸問題を饒舌に論じることで一部界隈に知られている。