日本の脳卒中医療をけん引するナショナルセンター ~国立循環器病研究センター橋本信夫総長に聞く

橋本信夫・国立循環器病研究センター 理事長・総長
橋本信夫・国立循環器病研究センター 理事長・総長

 「ナショナルセンター」という言葉を聞いたことがありますか? 日本には、ナショナルセンターと呼ばれる6つの国立高度専門医療研究センター(※)があり、それぞれがんや高齢者医療などの専門領域の臨床と研究、調査や開発などを行い、日本の医療をけん引しています。しかし、一般市民にとっては普通の病院と変わりなく感じられ、どのような役割を担っているかということはあまり知られていないのではないでしょうか。大阪府吹田市にある「国立循環器病研究センター」(以下、国循)もナショナルセンターの一つで、日本の脳卒中医療をけん引していく役割を担っています。橋本信夫総長に話を聞きました。(熊田梨恵)

(※)6つの国立高度専門医療研究センター…国立がん研究センター、国立循環器病研究センター、国立精神・神経医療研究センター、国立国際医療研究センター、国立成育医療研究センター、国立長寿医療研究センター

 

 

■心臓と脳を一緒にしたセンター


―国循もナショナルセンターの一つですが、一般市民にとっては「循環器医療の専門病院」として頼りにしているという意識はあっても、国の研究施設であるとか、その辺りのことはあまり意識されていないような気がします。総長としてはどうお感じでしょうか?

 国民の意識の中には、国循がナショナルセンターであるか否か、という感覚は普段はほとんどないかもしれませんね。日本の特徴として、患者は、がん以外の病気で病院を求めて国内を移動するということは少ないと思います。基本的に住んでいる地域にある病院にかかることが多いと思うので、最先端の心臓や脳の臨床と研究が行われている国循が吹田市にあることは、関西の方にとっては心強いのではないかと思います。
 一方、医療を行っている立場からするとナショナルセンターの役割は大きく、センターが国内に分散している意味は大きいと思っています。大阪に国循を持ってきたのは、当時の創立者の慧眼だったと思っています。医療の「均てん化」(全国どこでも標準的な専門医療を受けられるよう、医療技術等の格差の是正を図ること)から考えれば、心臓と脳の医療の中心を西日本に持ってきたのは政策的な意義も大きかったと思っています。
 また素晴らしかったのは、心臓と脳を一つのセンターに集約したことです。これは世界的にも類を見ないことで、当時は考えられなかったことです。アメリカやヨーロッパでも、心臓と脳のセンターは別なのです。

 

 

手術室の様子(写真提供:国立循環器病研究センター)
手術室の様子(写真提供:国立循環器病研究センター)

―心臓と脳の医療を一緒に行うことが、そんなにすごいことだったのでしょうか?

 医療と研究という視点から、脳と心臓のセンターを一緒にするメリットがあります。例えば大きな企業や銀行が合併しても、中は結局縦割りのまま、ということがよくありますが、医療でも同じだと思います。脳と心臓は、治療や研究の上でも共通する部分が多く、お互いに知識や技術を学び合えるので、当初から同じ施設にしたのは、素晴らしいことだったと思います。
 私が国循で部長をしていた当時、世界的にも難しいとされる巨大脳静脈奇形の手術をしました。その時に、心臓外科医と心臓外科手術に精通している麻酔科医がいてくれたことで、低体温、超低血圧の状態で手術を成功させることができたのです。難しい手術の時など、一緒にやることのメリットがあると思っています。また脳血栓症の治療にはt-PA(※)を用いた血栓溶解療法がありますが、大動脈解離による脳血栓症の場合には、t-PAの使用は危険です。このため、心臓の専門家がチェックできるというメリットがあるのです。
 ただ、日々の臨床の中でどうお互いにメリットを見出しながらやるかは難しいですね。組織は科に分かれているので、限られたパイの中だけでやっていこうとすると、自分たちのところだけをよくしていこうという動きになりがちです。企業や国の行政でも同じでしょう。このため、研究所と病院が一緒になってやるプロジェクトには優先的に研究費を配分したり、レジデントを交流させたり、組織の中で横断的に行う取り組みを色々進めています。

(※)t-PA...血栓溶解薬のアルテプラーゼ。血栓を溶かす作用があり、脳梗塞を起こした患者への投与が有効。ただ、3時間以内の投与が有効とされるため、迅速に患者を発見、搬送することが求められる。国は脳卒中医療に力を入れており、t-PAを使った治療に診療報酬点数を付け、都道府県が策定する医療計画の中でも脳卒中の地域医療に関して詳しく策定するよう求めている。

 

 

国立循環器病研究センター
国立循環器病研究センター

■がん転移を抑えるホルモンの発見


―ナショナルセンターの国循だからこそできたと言える研究開発などはありますか?

 昨年の秋にマスメディアでも報道されたのですが、心臓から分泌されるホルモンに、がんの転移を抑える働きがあることを、国循と大阪大の研究チームが突き止めたのです。国循の寒川賢治所長たちが発見した「心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)」というホルモンなのですが、心臓や血管を保護する役割があり、心不全の治療に使われています。

―心臓から分泌されるホルモンになぜ、がんの転移を抑える働きがあるのですか?

がん細胞は血液を通じて移動し、血管内皮に潜り込んで転移していくものなのです。がん患者は抗がん剤や放射線による治療で血管内皮が傷付くため、がん細胞が潜り込みやすくなります。がんの転移の多くは、血中にがん細胞が流れ出すことによって起こることが原因なのです。このANPが血管内皮を保護してがん細胞が血管壁に付くのをブロックするというふうに寒川所長たちは考えています。

―どうやって発見したのですか?

ある病院で肺がん患者に、がん手術後の不整脈などを予防するためにANPを投与していました。ある若い医師がANPを投与した患者にがんの再発が少ないことに気づきました。肺がん患者は通常、術後2年で約2割が再発するのですが、ANPを投与した患者90人のうち、再発したのは4人にとどまったのです。この医師は寒川所長のもとで研究を開始しました。マウスを使った実験では、ANPを投与することによって、転移を通常の15~30%に抑えました。もう一方で、ANPが働かないよう遺伝子操作したマウスは、肺や肝臓に転移したがん組織が通常の4~6倍多かったのです。こうしてANPにがんの転移を抑える働きがあることが分かったわけですが、これはがんのみに着目する研究からは発見することが難しく、最先端の心臓の研究と臨床を行う国循だからこそできたことと思います。

 

CCUの様子
CCUの様子

■地域全体で脳卒中を診るシステムを


―循環器疾患といえば、日本人の三大死因の一つの脳卒中があります。国も脳卒中対策には力を入れており、特に脳卒中患者の救急搬送については地域でルールを作るよう定めたりしています。脳卒中を起こした際に、有効な治療薬のt-PAを投与することが進むような政策誘導も行われています。国循はナショナルセンターとして、脳卒中医療をどうリードしていくのでしょうか?

脳卒中医療は、地域差が大きいのです。国循には脳卒中を診られる内科医師が約30人いますから、救急要請にはほぼ対応できます。しかし、内科常勤医が少ない病院では常に脳外科医がスタンバイしていないといけないという場合もあります。東北や北海道では専門の内科医がいない病院もありますし、東京は医者がいると言われますが、人口比で見るとそうでもありません。また、t-PAは投与すれば終わったかのように思われていることがありますが、大切なのは投与後の管理です。投与後に脳内出血を起こすこともあれば、詰まった血栓が溶けないこともあります。特に中規模病院だと、t-PAの投与ができるか否かより、その後の管理のためのマンパワーがあるかどうかです。一人しか常勤医がいなければ、複数の患者を受け入れたら手が回らなくなり、医師が疲弊しています。

―なるほど。脳卒中の救急医療に大切なのは、搬送時よりもその後の管理。時間もかかるし、人手が要るということなのですね。


そこで私は、地域の脳卒中医療の拠点となる「地域包括的脳卒中センター」のような病院をつくることが必要ではないかと考えています。どんな仕組みかというと、脳卒中患者を受け入れた病院から、センターに患者の頭部の画像を送ります。センターには複数の専門医が常駐していて、t-PAの適用かどうかを判断して伝え、適用であれば点滴を始めます。そして点滴をしながら救急車で搬送し、患者はセンターで投与後の管理を受けます。t-PAを投与するか否かは迅速な判断を求められますから、こうすれば治療開始までの時間のロスをなくせます。私たちの調査では、そのようなセンターに適応する病院は大阪府内には6ヶ所程度あります。そういう病院が地域の脳卒中医療の連携の要となり、地域医療を分担していくといいと思っています。また中規模病院で脳卒中患者を受け入れた場合も、t-PA投与後の管理はセンターで行うようにすれば、医師の負担が増えず、受け入れることをためらわずにすむと思います。一人しかいない脳卒中の専門医が、「患者の全ての過程を自分で診ないといけない」と思うのは精神的にも肉体的にも負担が大きいため、地域全体で患者を診ていける広域の包括的なシステムを作っていこうという調査を始めているところなのです。DPC情報を使って、患者の治療内容や合併症、退院時予後の検証などを行うことで、地域の脳卒中救急医療の底上げを行っていくことも行っています。

 

―ナショナルセンターが”錦の御旗”のようにして行っていけば、他の医療機関や医療スタッフたちもついて来やすいのかもしれませんね。

様々な大学や病院でこうした研究や調査が行われていますが、バラバラで収集がつかなくなっていたり、どこが中心になればよいのか分かりにくいこともあります。ナショナルセンターの場合、「ナショセンがやるなら自分たちもやろうか」と考えてくれやすいポジションにあると思うので、積極的にこうしたことを行っていきたいと考えています。うまく自分たちの立場を使いながら、日本全体の仕事をしていきたいと考えています。

 

2011年末から導入されたドクターカー
2011年末から導入されたドクターカー

―大阪府吹田市という地域にあるのですが、ナショナルセンターである国循は、地域とはどういう関係の築き方をされているのでしょう?

地域の救急医療の質を向上させるには、最初に患者に接する救急隊の判断力を向上させる必要があります。そのためには、救急隊が、自分たちの判断した病名や、選んだ搬送先が適切だったかを知ることが大事です。そのためには、搬送された医療機関からのフィードバックが欠かせませんが、これまでは仕組みがありませんでした。そこで救急隊が、救急搬送の際、搬送開始時刻や、患者の脈拍数などのデータをスマートフォンで送信し、病院と吹田市消防本部が情報を共有します。搬送時間や応急処置が患者の回復にどう影響したかを検証できます。救急隊には、先ほどの患者は脳梗塞であったとかなかったとかその後の情報を病院から送信し、今後に生かしてもらうようにするのです。そうすれば、救急隊が自分たちのやったことを即時にチェックすることができ、救急医療の質が向上していくでしょう。

―救急隊への情報のフィードバックは、国内でも様々な取り組みが始まりつつあるところです。国循がリードして、関西でもシステムが定着していくといいですね。

また、一昨年12月に、国循による特注のドクターカーを導入しました。一般的にドクターカーというと、救急車のような車に医者が乗っていて、搬送中に治療を行うイメージですが、国循のドクターカーは、「心臓に病気のある子どもを何とか運べないか」という現場からの発想からスタートしたものです。今までは、例えば大阪府内の大きな病院に移植を必要とする患者がいたとして、国循に来れば移植できるかもしれないのに、医学的に移動が難しいということがありました。また生まれたばかりの赤ちゃんで、しかも心臓に病気がある子を車で運ぶということは、様々なリスクを伴うため、かなりの困難を伴います。そこで、そんな赤ちゃんや重症の患者さんでも搬送できるような特注のドクターカーを作りました。これまで搬送の難しかった患者さんをドクターカーで運び、こちらで人工心臓を埋め込んで元気になって帰られた例などがあり、その重要性を実感しています。こうした救急医療情報やドクターカーなど、地域医療が向上する仕組みを作って発信するのもナショナルセンターとして大事なことだと思っています。

ドクターカーの内部
ドクターカーの内部

―これからの国循は、どんな方向を目指していくのでしょう?

今は、研究所と病院が別々の建物になっているので、これらを結び付けていくために一緒にできるような建て替えを行いたいと考えています。まだまだ研究段階の医療機器や診断技術があります。医療機器開発や新しい薬の開発を日々の臨床と結び付けながら行えるようにと考えています。基礎的な研究から超急性期医療まで連続的にできる組織にしていきたいと思います。


また、今のセンターとは別に、医療機器や創薬メーカー、様々な大学などが入って、情報交換しながら一緒に研究や開発を行えるような、新しい枠組みの研究体制をつくりたいと考えています。独法には枠があり、総人件費も決まっていますから限界があります。それを超えたものをつくるのが、機器開発や創薬を早く進めるコツだと思うのです。産官学連携の新しい枠組みのものを作っていかないと、国際的な競争力を持てないと思います。特区制度などを利用しながら既存の枠組みにとらわれないであらゆる可能性を考え、新しい組織を作っていきたいと考えています。


 またこれから一層高齢化が進み、認知症患者への対応が大きな課題になります。たとえばアルツハイマー病の症状を悪くしているのは脳血管障害の併発です。それがなければ進行が緩やかになるかもしれません。アルツハイマーに対する新しいアプローチとして、そういうことも考えていきたいと思っています。

 

(終わり)