医療界と一般市民の合意形成、どう行う?

 医療の安全性を維持向上するために、一般市民と医療界はどう手を組んでいけばよいのでしょうか。医療事故における「業務上過失致死傷罪」をテーマにしたシンポジウムが20日に大阪市内で、全国医師連盟(中島恒夫代表理事)の主催で開かれました。

 

 医療機関で起こった医療事故について、第三者が調査を行い、真相究明と再発防止を行う医療事故調査組織の創設を、厚労省は進めています。この議論は2008年から進められており、あと一歩で法制化されるところまでいきましたが、内容について医療界から強い反発を受け、制度化の速度が落ちていました。しかし、厚労省は関連法の改正法案を今秋の臨時国会に提出する予定で、着々と進行しています。

 

■現行の司法・検察・警察システムの限界

 そもそもなぜ医療事故調の創設案が浮上してきたかというと、現在の裁判や警察・検察捜査のシステムでは、医療事故の真相が明らかになりにくいなどの問題があるからです。裁判で「ここが犯罪のポイントだったのでは」と争われる部分を決めるのは、医療者ではなく、医療の素人である警察・検察側です。このため、医学的に見ると事故原因とは全く関係ないかもしれない部分について争っている裁判もあると言われ、被害者や遺族の望む「事故の真相」を明らかにすることはできず、再発防止にもならないと言われています。また、日本の司法、警察・警察の構造上の問題も指摘されています(参考:ロハス・メディカルブログ「グレーを徹底的に黒くするのが警察・検察」)。

 このため、医療事故調については、司法・検察・警察側との連携の組み立て方に、厚労省は難儀してきました。

 

■「そもそも刑法の在り方が問題」

 ただ今回のシンポは、それ以前に、司法・検察・警察側の動きを規定する刑法にそもそも問題があるとして、刑法の見直しを求めるものでした。

 全医連は業務上必要な注意を怠ることによって人を死傷させる犯罪「業務上過失致死傷罪」を定めた刑法211条の在り方を問題視しています。組織の構造上の問題によって起こった事故かもしれないのに、個人の罪に帰結させてしまうため、根本的な問題解決や再発防止につながらないという主張です。このため、同法が事故調査の阻害要因になっているとして、「過失を犯罪とする刑事法体系全体を見直すべき」という訴えをベースに、シンポジウムは開かれました。

 

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刑法211条

1 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

2  自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、7年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。

 

※過失犯の成立要件

①過失行為(注意義務違反) ②死傷の結果 ③過失(予見可能性)

「業務上過失」とは、「社会生活上の地位にもとづき、反復継続して行われる生命身体に危険な事務」。過失の性質が異なるのではなく、校医の性質上、法益侵害の危険が高いので違法性が高い(ないし責任が重い)とされる。

 

※英米法の例

通常の過失(negligence)は不可罰とされ、重大な過失(Gross nrgligence)のみ処罰される。無謀な行為(=危険な結果への無思慮、reckress)が典型。

 

*シンポジストの米倉勉弁護士の資料から抜粋

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 シンポジウムでは、整形外科医の赤松俊浩氏(神戸市)が、医療事故における業務上過失致死傷罪の適用について、告訴がなければ公訴を提起できない「親告罪」とし、事故調査が警察の捜査より先に行われること、捜査機関が証拠を開示することなどを提案しました。

 他業界からの意見として、1997年の三重県志摩半島上空で起きた日本航空乱気流事故で業務上過失致死傷の罪に問われて起訴され、無罪となった高本孝一氏(日本乗員組合連絡会議事故対策委員)が、「刑事責任では、委縮効果になり、本人一人を罰しても事故防止にならない。被害者感情を満足させるものにはならない」と述べ、システムエラーを個人の罪に転嫁するのでは問題解決につながらないと主張。事故を起こした組織は「説明責任」を負うべきとして、どういう経緯で事故が起こったのかを明らかにして被害者・遺族に説明し、改善を行っていく必要があるとしました。
(全医連ではこれまでも、多くの人の命を預かり、常に緊張を強いられる労働環境等が共通しているという認識から、飛行機乗員の業界組合と、業務上の事故についての調査や再発防止の在り方について情報交換等を行ってきています)

 

 

 そうはいっても、現実はなかなか厳しいようです。

 

■「刑法改正はハードルが高い」

 梅村聡氏(参院議員・民主)は業過罪の廃止の主張について、「刑法の話に入ってくると議論が沸騰します。刑法そのものに手を入れるということを、今回の医療事故調の話とセットでできるかというと、山の高さが相当違う」と、業過罪の非刑罰化は難しいとの見方を示しました。「刑法に手を入れるというのは、他の業務(運輸、メーカーなど他業界のこと)も含むと思うが、この形で進めると、『医療』というのが前面に出ます。その時にかなり厳しい。医療に対する世の中の目線は相当冷たいですから。これは私がそう思っているというのではなく、申し訳ないが、立法府としてどう感じているかということで、医療に対する目線は相当厳しい。だから、そこからスタートする刑法の改正というのはかなりハードルが高いです。私案ですが、故意や隠ぺいには処罰する規定を、医療法なのか、何かの中に、きちんと確保する。その中で刑法の扱いをどうするかと、外から埋めて行った方が早いのではないかと感じています」などと述べ、医療界の自律の仕組みをまずつくるべきとしました。

 

 次に話した弁護士の米倉勉氏も、過失の非刑罰化は刑法改正を要するため、世論の形成が先決になり難しいとの見方を示しました。「医療事故調査の実施を条件に、原則として起訴猶予とする法令を整備、あるいは事故調査機関と検察庁の『合意』」の可能性なら有り得るとの見解を示しました。

 

 全医連の主張は分かるが、刑法そのものを変えることにはかなりのハードルがあるため別のやり方を考えた方が良い、また、以前より改善傾向にはあるものの、医療界に対する一般の見方はかなりクールであるという意見です。

 

 私個人の感覚も、こちらに近いです。確かに今の司法・検察・警察のシステムでは医療事故の真相究明と再発防止にはつながらないと思いますし、被害者救済は事故調査とは別に行われるのがよいのではと考えています。ただし、医療だけを特別に扱い過ぎるのは無理があると思います。確かに医療者は、過酷な労働環境の中で神経をすり減らし、時に過労死が起こる状況の中で人命を扱う仕事を行っています。しかし、中には一部、故意による過失、カルテ改ざんなどの悪質行為をする医療者がいるのも事実です。そういった医療者を、医療者自身が排除する仕組みを自らつくり、自浄する仕組みを持っていることを世間に示さねば、一般市民からの「悪質な医療者まで守ろうとしているのではないか」という意見は必ず上がってくるのではないでしょうか。この状況で、どれだけ医療事故における過失に配慮する仕組みを求めようとしても、世間の理解は得にくいと思うのです。

 

■必要なコストと、効率化

 興味深いやり取りが、シンポジウム最後の質疑応答にありました。

 

 参加者の医師が、河村真紀子氏(新しい事故調査機関実現ネット代表幹事、主婦連合会事務局次長、消費者庁の「消費者安全調査委員会」創設に関わった)に次のように尋ねました。

「安全を確保するにはコストがかかるという話がありました。医療業界は過労死水準の勤務医の労働時間をいまだにずっと保ったまま持続しているわけです。それを適法化して安全水準を高めれば、利用料の上昇とか、必ずサービスの低下に結び付きます。病院も労基法を守ったら、病院の数は半分になります。医療へのアクセス制限と料金の高騰と、両方の意味があると思います。その辺りは消費者の立場として受け入れてくれるものなのでしょうか」

 

 河村氏はこう答えました。

「私一人が国民の代表として答えるわけにはいきませんが、過労死水準のお医者様が命を預かるなんてことが続いてはいけないと思っていますので、それがどれぐらいのコストに跳ね返るのかとか、全部消費者負担になるべきものなのかとか、税金が上がるのかとか、いろんなことを考えていかないといけないと思います。医療の世界だけでなくて先ほど話したプール事故(2006年にふじみ野市で小学2年生の女子児童が、流水プール内の吸水口から地下水路パイプに吸い込まれて死亡した事故)も全てです。シンドラーのエレベーター事故(06年に東京都港区のマンションに設置されていたシンドラー社製エレベーターで、乗降中の高校生が扉が開いたまま突然上昇したエレベーターと天井との間に挟まれて圧死した事故)も、港区の公的な建物で管理会社のメンテにかかる入札が最初から6年ぐらいで10分の1ぐらいになっています。シンドラー直営の管理会社からどんどん安いところに入札されるようになりました。するとシンドラーは特殊なブレーキなのにマニュアルを他の管理会社には見せてやらないと言って意地悪をする。でも港区は一番安いところに頼んで、事故が起きる。日本全国そういうことがすごく起きていると思います。それは日本という国をどうしていくのか。きちんとかかるものはかかる、だけどどこかに無駄があるんじゃないか、そういう両方の面でやっていかなければいけないと思います。だから過労死水準のお医者様が手術をしたり医療行為をしたりすることを続けることによって、今のコストが保たれるということを、少なくとも私はよしとしません」

 

 河村氏の話の中にあった、「日本という国をどうしていくのか。きちんとかかるものはかかる、だけどどこかに無駄があるんじゃないか、そういう両方の面でやっていかなければいけない」。どの業界もこれに尽きると思うのですが、業界の話は一般市民には分からないのです。きちんと業界と一般市民が話し合い、何が必要で何を効率化すべきかを議論するためには、業界の中の情報が公開され、分かりやすく説明されることが必要です。今回のように、学会や病院団体ではない一般勤務医の団体である全医連から、市民向に主張を訴えていく動きが出てきたことなども、内容の是非は置いておいても、以前の医療界と比べて変わったと感じる部分です。一般市民も自分事として関心を持って話を聞いていくべきと思います。

 

 医療界と一般市民の関わり方について、改めて考えさせられました。事故調問題について、医療界の中で守られるべきところは守られねばなりません。そのためには、より医療界が透明となり、一般市民はもっと医療について、引いては政治や行政について関心を持つことが必要だと思いました。

 

 

■「世論というもの」

 終わりに、梅村議員の発言にあった「世論と医療界」に関する話が興味深かったので、記しておきます。

「今の政治状況ですが、政治勢力的に言えば、相当ポピュリズムが進んできます。今の『第三局』と言われる方々も含めて小選挙区制度だから、ポピュリズムに訴えることが選挙結果に相当出てきます。大変つらいことかもしれないが、医療に対してある程度冷たい論調をすることが、世の中的にはウケる。そういう政治状況があるんだいうことは、皆様の頭の片隅にちょっと置いておいてほしいです。私が話したことは本質論でないことが少し含まれています。それなのになぜ伝えるかというと、『世論』というものは全てのことを客観的に把握した上で、世論調査が行われるのではありません。おそらく今、大手新聞が『医療事故に対して業務上過失致死を適用すべきか否か』とワンフレ-ズで尋ねたら、国民の7,8割が『適用すべき』と言うと思います。でもそこで再発防止をどうするのかとかシステムエラーについてのことなどは説明されません。だからこのことを十分背景として踏まえた上で、ぜひメッセージを出していただきたい。このことは残念なことだが、我々が注意をして世の中にメッセージを出していかなければならない点だと思っているので、皆さんにお伝えしたいと思っています」