梅ちゃん先生のティールーム第2回~井上清成・弁護士③“教育崩壊”と“医療崩壊”の構造は同じ

梅村聡氏
梅村聡氏

梅村:弁護士になられて、最初は勤めておられたんですよね。


井上:最初は事務所に所属して、3年ぐらいで出ました。それから九段下で事務所を持って、その後こっちに。


梅村:やっぱり自立心が旺盛やったわけですね。医療の分野を本格的にやり出したのは、弁護士になって何年目ぐらいからですか。


井上:弁護士になって10年から15年ぐらいですね。


梅村:そんな最近なんですね。


井上:皆さんにそう言われるんだけど、弁護士が医療の世界にどっぷりという形でやり出したのは、最近なんですよ。なぜかというと、色々な医療バッシングが起き始めましたのは1999年頃からでしょう。


梅村:持ちかけられるようになった話は、医者と患者さんとのトラブルとかですか?


井上:そう、少しずつ医療事故やクレームの話が増えてきました。世の中変わってきたんだ、そういやそうだねと思ったわけです。


熊田:そうだね、というのは?

 

■「バッシング」を始めた社会

井上:勤めていた時にクレジットカード会社の仕事に関わっていました。昭和の終わり頃からサラ金みたいなものがありますよね。そこにクレームが来て弁護士がバッシングし、社会もバッシングするようになる、そういうのを見てたんです。


熊田:社会が「悪」を見つけてバッシングする構造があったと。


井上:次に来たのが、「学校」でした。学校で何か事故が起きたりすると、世間がもうぐじゃぐじゃに叩くでしょう。その頃私は攻撃する側の弁護士だったんだけど、学校側の人たちを見て、守り方が下手だなと思ってました。記者会見に出てぺこぺこ謝って、現場の教師に責任を押し付けてね。学校で事故が起きたことにはなんでも責任を負わされて、損害賠償が基本的に認められるようになっていくわけです。何か起きれば現場の教師の責任だと言われるから、教師にとってはクラブ活動だとか課外活動なんてばからしくてやらなくなりますよね。課外活動で何かトラブルが起こって、「その日は休んでた」と言えば、「生徒たちだけやらせてた責任だ」。「そこにいた」と言えば、「見落とした責任だ」と。そんなものね、子どもなんて小学生だろうが高校生だろうが、言うことを聞いたりしないですよ。それをみんな「責任だ」と言われるなら、「かなわんなあ」と。豪腕な教師とは年中けんかしてましたけど、そういう人も駆逐されておとなしい教師が増え、管理体制が敷かれていくようになります。そうやって公立校がどんどん落ちていく。こうやって崩壊していくんだと、まざまざとそのプロセスを見ていました。


熊田:その次に医療が来たんですね。


井上:そう、医療を見たら教育と同じことが今まさに起ころうとしているなと思いましたね。私はその頃、企業の顧問の一環としてお医者さんたちをそこそこ知ってたので、医療側へのアクセスが早かった。そういうわけです。


梅村:先生と共通点があると思ったのは、僕の母親は35年間公立学校の教師をしていたんですよ。もう20年ぐらい前ですけど、母が家に帰ってきて、クレーマーじゃないけども、そういう話をしてました。“医療崩壊”のプロセスは、20年前に学校で起こってたことと一緒なんですね。


■「このままでは教育崩壊と同じ結果になる」

井上:教育の崩壊のプロセスを見てたので、成り行きが見えるじゃないですか。だから医療側はその時と同じ手段をとらなければいいんです。ところが同じようなことをしていたので、これでは同じ結果が起きるだろう、別の手を使わなきゃいかんと思いました。例えば記者会見で謝罪するんだったら、記者会見をそもそもやらないとかね。単純に言えばそういうことですよ。現場に押し付けたらみんなひいちゃうって言うんだったら、院長か誰かが突っ張るとか、まずそうしないと同じことが起こっていく。


梅村:身を挺して組織をきちっと守る。隠す意味ではなくてね。


井上:組織を守るということと、隠ぺいしていることの兼ね合いはきちんとしないといけないので現実の実務のアレンジは難しいですけど。公立学校をモデルに考えると、医療機関は基本的に公立でもないんだけど、でも皆保険制度だから完全に私的ではなく、公営医療っぽい、公的医療っぽい形を採っています。そうすると同じことが起きてくる、事件の感覚からすると同じだなと。だからそれをモデルに最初のうちは対処法を考えます。攻め口も分かってますから。


梅村:先生は教育の崩壊現場で攻め手と守り手を見てたわけですね。医療崩壊の時には、すでにそれを見ていたから強かったわけですね。よく分かりました。


つづく

 

①警視庁管内で公安担当だった父の影響で弁護士に

②子ども心に見た警察組織の裏側